理事長退任のご挨拶(2024年1月4日配信)

NPO 法人 脳の世紀推進会議
正会員、一般会員、賛助会員の皆様

理事長退任のご挨拶 - 未来への回顧

前理事長 津本忠治

“10 年ひと昔”という慣用句があります。そうしますと3つ昔ほどの古い話になりますが、約 30 年前、1993 年に「脳の世紀推進会議」が発足しました。当時の文部省重点領域研究の代表者が集まり、脳研究を推進する機運を盛り上げるため、役所や研究者コミュニティだけでなく広く社会一般にも働きかけようというのが主な目的でした。初めは任意団体でしたが、2004 年に特定非営利活動法人(NPO)となりました。発足当時、1990 年代、は米国における decade of brain キャンペーンなど、脳研究推進の機運が世界的に盛り上がった時期でした。日本でも“21 世紀は脳研究の世紀”というスローガンのもとに種々の大型プロジェクトがスタートしました。その後、“プロジェクト研究は数年で終わり”という日本の科学技術政策の問題などもあり、機運がしぼみそうになりましたが、関係者の努力で何とか現在の革新脳・国際脳プロジェクト等に続いています。この間、小生は当法人の理事として脳の世紀運動に関わってきましたが、2015 年、それまで当法人を含めて日本の脳研究全体を牽引してこられた伊藤正男先生が引退されたため、理事長職を引き継ぎました。ただ、小生の個人的事情ですが、2016 年より日本学術振興会の仕事で6年間スウェーデンに赴任し日本を留守にせざるを得なかったこと、さらに 2020 年から世界的に蔓延したコロナ禍などで、必ずしも満足のいく貢献はできず、固い慣用句を使わせていただければ“忸怩たる思い”があります。ただ、それはそれとして、理事長就任後7年も経過し“老害”を避け、世代交代と新しい視点での「脳の世紀推進会議」の活性化の必要性を痛感し、本年6月に新理事長に交代していただきました。

小生が理事長として力を入れた活動は主に以下の3点ですが、これらを含めて今後脳の世紀推進会議のさらなる発展にこの反省多き回顧的“ご挨拶”が何らかの参考となることを期待します。

1) 中高生、大学生、院生など将来を担う若者、一般市民やメディア等を主な対象とした公開講演会「脳の世紀シンポジウム」の開催

第一回の脳の世紀シンポジウムが開催された 1993 年は“アウトリーチ”や“アドボカシー”とは何ぞやと、そのような言葉自体が知られていない時代でしたが、脳研2究への支援を得るには社会に対して脳科学の重要性を広く認知してもらうという活動が重要であるとの視点での先駆的活動でした。その後、毎年有楽町朝日ホールで大きな会場が満席になるような多数の聴衆を集めて開催してきましたが、2021 年と2022 年はコロナ禍のため対面での講演会はできずオンラインのみでの開催となり寂しい思いをしました。ただ、それでも有楽町へ行くことはかなわない全国各地からの参加者を得るというオンライン開催の長所を実感しました。本年はコロナ禍も収まり久しぶりで対面でも講演を聴けたことは嬉しい限りです。特別講演にお招きした柳沢先生が講演を依頼した時に最初におっしゃった“オンラインだけだと聴衆の反応がみえないのでやりたくない”という趣旨のご意見は小生も全く同感で、結局対面を含めたハイブリッド形式でお願いしました。また、対面講演会終了後、全国の方々に講演やパネルディスカッションの全記録をオンデマンドで配信していますので今年はシンポジウム参加者の層や居住地域がさらに広がり参加者総数は 400 名以上となったことは大変嬉しく感じました。

2) 世界脳週間イベントの全国各地での開催

1992 年に米国で公開講演会、病院や研究所の公開、体験学習などの行事を展開する「脳週間」キャンペーンが開始されました。それに呼応して、1997 年から欧州においても「脳週間」イベントが実施され、2000 年からは、国際脳研究機構やユネスコの後援を受け、「世界脳週間」と銘打った世界的な行事になりました。脳の世紀推進会議は、脳研究の将来を担う高校生を主な対象として 2000 年より参画しています。米国では毎年3月中旬に脳週間イベントを開催しているのですが、日本では、3月は卒業や終業式などこのようなイベントには適当でない時期に当たるため、夏休み或いは秋や冬と高校生の都合の良い時期に全国 17~18 か所で世界脳週間イベントを行ってきました。ただ、2020 年から 2022 年にかけてはコロナ禍のため、中止や延期したところが多く、開催した地区でもオンラインとなったところが大部分でした。しかし、オンラインの場合、一ヶ所に集まらなくても良いという長所を生かして多くの参加者を得て活発な質疑応答もあり、大変好評のイベントもありました。
今年度はコロナ禍収束の見通しが立ち、上記のような昨年度の成功体験をもとに、対面とオンラインのハイブリッド講演会、研究室訪問、体験学習等々、多岐にわたる形式で展開されています。このように世界脳週間イベントに対して、脳の世紀推進会議は部分的ですが財政的サポートも行ってきました。ただ、忘れていけないのは、各地における世界脳週間イベントの開催にはその地区の大学や研究機関の脳研究者が企画・運営などにボランティア的に大きな貢献をされてきたことです。この機会に改めてご尽力された方々に敬意を表したいと思います。最後に、高校生時に聴講した人たちから大学に進学後脳科学研究者をめざしているという便りをいただくことがあり、この世界脳週間イベントは大いに実績が上がっていると大変嬉しく感じていることを付け加えます。

3)脳科学オリンピック行事の開催支援

これも随分古い話ですが、1960 年代から高校生などを対象とした国際数学オリンピックや物理学オリンピックなどの国際科学オリンピック大会が主にヨーロッパで開催されてきました。日本では 2016 年、文科省に科学オリンピック推進会議が設置されました。それを受けて、数学、物理学、化学、生物学などの分野でそれぞれ〇〇オリンピックと称するイベントが日本科学技術振興機構(JST)を介する公的支援を受けて始まりました。一方、脳科学では 1999 年に米国で中高生を脳科学に引き付けるためにブレインビーと称する脳科学のクイズ大会が始まりました。これがその後世界 25 カ国以上の参加を得る国際大会に発展したので、「脳の世紀推進会議」では国際ブレインビー大会に派遣する日本代表の選抜イベントを脳科学オリンピックと銘打って日本神経科学学会と共催で開催してきました。2012 年には、日本の脳科学関連学会を糾合した脳科学関連学会連合(脳科連)が結成されましたので、その後脳科学オリンピックの主催は脳科連とし、脳の世紀推進会議は共催者として事務局機能など側面から支援することになりました。脳科連は科学技術政策担当の政府機関や政治家に脳研究者コミュニティの意見や要望をワンボイスとして伝えることが主なミッションですが、広く一般社会へのアウトリーチ活動やアドボカシー活動を支える事務局機能が十分ではないので「脳の世紀推進会議」は相補的にそのような活動を支えてきました。
一方、上記のように数学オリンピックや物理学オリンピックなどの科学オリンピックは公的な財政支援を受け、入賞した高校生が新聞などで紹介されるなど社会的にも認知されるようになりました。脳科学も指をくわえて見ているのでは能がないので、同様の公的支援を受けるべく、2018 年 3 月に日本神経科学学会ブレインビー委員会奥村哲委員長と小生が同道して文科省科技局人材政策課の担当者に直接掛け合いに行きました。結局、数学や物理学などは高校の教科にあるが、脳科学は教科にはないということで直ちに他と同列の支援というわけにはいかないという返答でした。ただ、脳科学は、例えば、宇宙科学、と同様、教科にはないが高校生の関心が高いし、科学に目を向けさせる契機になる分野であるので、今後教科にない他の分野と連携した働きかけが有効ではないかとの示唆を受けました。優秀な高校生を脳研究に引き付けることは脳科学の将来にとっても極めて重要なことです。したがいまして、脳科学オリンピックを科学オリンピックの一つとして公的支援を獲得し、社会的にも目立つ形にすることは今後の重要な課題と思います。
最後に以下、小生の感想です。脳科学オリンピック(国際ブレインビー)大会に日本代表として参加した高校生の中からこれまで、その実績をアピールポイントとしてトップクラスの大学のアドミッション入試で難関を突破する若者が出てきています。また、上述のように高校生時に世界脳週間イベントに関与した大学生の中から脳科学を目指す学生が出てきています。これらの若者の中から近い将来、日本の脳科学を牽引する研究者が出てくると予感しています。